40代新米パパのブログ

子育て、仕事、筋トレなどの自分用の記録です。

エール

昨年の5月、仕事で忙殺されていた中、実家へ一時帰った婚約者と連絡がとれなくなった。


前の日は火鍋を食べて、彼女の方から散歩をしたいと言ってきて手をつないで散歩した。夜はいつも通り買い物へ出かけ、朝は僕の作ったカレーを美味しいと言って食べてから実家へ帰った。少なくとも僕にはいつも通りに見えた。

丸一日連絡がつかなくなり、心配になった僕は事故などに巻き込まれていないか、最寄りの警察署に問い合わせをしにいった。そのさなかに彼女の方から連絡があり、別れを告げられた。

思い返せば仕事のプレッシャーで彼女をたくさん傷つけてしまった。分かってはいたが、僕が思っている以上に傷は大きく深かったようだ。

喪失感や後悔、自分への怒り、相変わらずの仕事への不安、色々な感情で僕は不眠症に陥った。

私生活では抜け殻になりながらも、なんとか仕事はこなしていたが、6月下旬、仕事中に警察から連絡が入った。母が交通事故を起こしたという連絡だった。

不幸中の幸いで他人を巻き込んではいないとのことだったが、意識不明で病院に搬送された。

仕事を早退し、半ば母の死を覚悟して病院へ。

懸命の処置のおかげで一命をとりとめたが、入院は2カ月に及び、学校と病院を行き来して、その道中や病室でも仕事に追われた。

母の意識が戻りほっとした頃、担任をしていた学生から、僕のことを信用できないと言われた。
面談の内容を僕が他の学生に漏らしたとのことだった。僕には全く身に覚えがなく、思わぬところから矢を打たれた思いだった。

一応報告をと思い、副校長にメールでことのあらましを報告したが、これまた返信が来ない。
ここは詳しくは書けないが、職場にも大きな、いや大きすぎるトラブルが起きていて、僕のこの問題どころではなくなっていた。


これらはたった2カ月程の間に起きたことである。


人に対しても、仕事に対しても、過ちはあったとしても、誠実に向き合ってきたつもりだった。

それなのに、こんなにも不幸がまとまって襲ってくると、軽々しく言うべきでないと分かってはいても、消えたくなった。吐き気が止まらなかったし。生きるのが苦しくて。



そこから8か月位が過ぎ、彼女は出来ていないものの、母はほぼ事故前の身体に戻り、仕事も苦労した甲斐があり、学生たちから感謝を述べてもらえて、仕事はよりいい条件でお話をいただき、明日から始まる。大きな不安と大きな希望を持っている。


まだこれからのことはわからないけど、少なくとも今はあの時死ななくてよかったと思っている。


頑張ろうって、つい口から出てしまうけど、それは時として、よりその人を傷つけてしまうかもしれないけど、やはり人生頑張らないと。


裏切られても 信じることから
奪われても 与えることから
寂しくても 分け合うことから
悲しくても 微笑むことから

俺も頑張る!